よのなかがわかる映画 [第2幕] 『いのちを楽しむ 容子とがんの2年間』

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「がん」って、どういう病気?
特効薬の見つからない、不治の病?

日本人の死因のトップ3であり、ほか二つの「心臓病」「脳卒中」を引き離し、メディアなどでも盛んに取り上げられ、語らえる機会の多い特別な病気、それが「がん」です。ありふれた病気のはずなのに、難病、難解。そんな不幸なイメージがつきまといます。

筆者の父親も、食道がんが発覚してからわずか1か月で亡くなりました。決して特別な病気ではなく、たまたま、ふいに誰かに襲いかかり、命を奪っていくもの。私の中では、地震や津波での死と、さほど変わらないものに思えました。
『いのちを楽しむ』は、乳がんで余命2年を宣告された渡辺容子さんという50代の女性が、「がんを治療しない。がんとともに生きて、死ぬ」ことを選択し、実際に死に至るまでを至近距離で捉えた記録映画です。

いわゆる「闘病記」と呼ばれる類の作品は、私はどちらかというと苦手なほうです。「死ぬのがわかっていて、見るのはつらい」ということではなくて、どこか「病気と闘うこと=立派、感動」という図式が飲みこみづらいでしょう。「そんな単純なことじゃねえよな」と、見る前から構えてしまう部分は否定できません。

でも本作の主人公・容子さん従来の“闘病ヒロイン”と一線を画すのは、がんと「闘わない」ところ。がんに「立ち向かう」「向き合う」のも微妙に違います。「見つめる」「寄り添う」、結果として「慈しむ」、そして「楽しむ」という境地に達している、そんな印象を受けるのです。

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在りし日の渡辺容子さん。死を前にした人とは思えないほど、精力的な活動を続ける (c)ビデオプレス

カメラは、容子さんの亡くなるまでの2年を、あるがままに写し取っています。確実に待ち受ける「死」というエンディングに向かってカメラを回すのもただごとではありませんし、何より、それを許可した、むしろ望んだ容子さん自身もただものではありません。
自分ではラストまで見届けられないのは心残りでしょうが、「死に至る記録」は万人に「ウケる」物語であるのは、間違いありません。人生のラストで、自分を主人公にした物語を世に遺してもいいんじゃないか。そんなお茶目な山っ気も、容子さんにはあったのではないでしょうか。

ですが当然、「死」は甘いものではありません。残されたいのちを謳歌しているふうな容子さんですが、もうひとつの主人公であるがんは、主演女優の容子さんに容赦なく「痛み」を与え続けます。
物語後半、カメラはレンズをそむけることなく、容子さんの「確実に弱っていく姿」を捉えていきます。つらそうなそぶりを見せない容子さんだからこそ、苦しみがジワジワと迫ってきます。でもそんな「苦しみのギフト」さえも、容子さんはあるがままに受け入れているように見えるのです。

容子さんは「活動する人」です。がん発病後も、震災を受けて反原発デモに参加するし、みずからの病気も、本映像以外にも著書を記したり講演に出向いたりと、表現するための労を惜しみません。
肉親は妹さんのみですが、活動を通じてつながった仲間たちが、自然と一体になって容子さんを支えています。容子さんの最後の「わがまま」を、みんなで分かち合い、楽しんでいるように見えます。
誰もが彼女のような見事な「おひとりさま」にはなれないかもしれませんが、「生きかた」がそのまま「死にかた」につながった、幸せな例なのではないでしょうか。

本作はいわゆる闘病記ではありませんが、「渡辺容子」という作品のラストを飾る、全身全霊の活動の記録であることは間違いありません。
人の苦しみも喜びも、自分の苦しみも喜びも、みな分け隔てなく寄り添い、共感する。その一方でみずからを俯瞰し、冷静に事象を見据える、そんなディレクターの視点も、容子さんは忘れない。だからこそ、本作はあたかも「監督=渡辺容子」のように感じられるのです。

メッセージ…というと容子さんは嫌がるかもしれませんが、あるとすればそれ、「自分が人生の主人公になる」ではないでしょうか。環境や立場は違えど、それぞれの人生は、自分が主人公のはず。まずは、そう生きてきたかどうか。
そして、いちばん肝心な人生の終幕で、いきなり他人にいのちを丸投げするのではなく、ほかの誰でもない自分だけの苦しみも喜びも、ラストの瞬間まで噛みしめて生きているか。存分に噛みしめている様子の容子さんを見ると、その「豊かな生き方」に惚れ惚れとします。

作中で、「がんは豊かな死に方」的な表現がありました。腎臓病や脳卒中と比べても、個人差はあるものの痛みは少ないし、それにいきなり死ぬようなケースも少なく、「余命何年」というような人生を噛みしめる猶予期間がある。特効薬はなくても、治療の選択肢は幅広い。
容子さんはがんに選ばれ、がんをまっとうして死ぬことを選びました。自分も、がんで死ぬのも悪くないな、と思うようになりました。皆さんはどうでしょうか。